読書をすれば読解力はつくのか

どうもこんにちは。しおにゃんです。

 

今回は最近読書したり読解力がテーマの本を読んだりしてしていて考えたこと。

 永遠の議題である読書と読解力について

”読書していて読解力が上がるのか”というよく聞く質問について自分なりに考えてみようと思っています。

 

結論から言うと

 

まずは”読解力”を定義しないと始まらず、”文章を字義通りとらえる力”を”読解力”とするならそれは通常の読書では身につきにくい。

 

と考えています。

 

さて。説明に移りましょう。

 

読書をしていれば読解力は上がるのでしょうか。

最近AIなどが登場しにわかに注目度が上がっている読解力ですが

読解力が何かをきちんと定義しない適切な議論はできません。

ここをすっ飛ばしてしまうと思い思いの意味で読解力を解釈し議論が紛糾してしまうのです。

 

今回の記事では読解力を”文章を字義通り解釈する力”と定義したいと思います。

実際に生きる上で文章を読む際に使う力はいわゆる小説を趣味で読むような眼光紙背に徹するような読み方よりも字義どおりに解釈する力だと考えているからです。

 

さて議題である”読書で読解力が上がるのか”について考える際に皆様に聞いてみたい質問があります。

皆様は文章を読む際に”文章を字義通り読む”と意識して文章を読みますか?

基本人間は気を付けていないと文章を自分の読みたいように読んでしまうように感じます。

歌詞読んでいてもこんなことあったなと勝手に重ねてしまったり。

このような読み方をしているうちは決して文章を字義通り読むという意味での読解力はつきません。

じゃあどうやって鍛えるのか。

実はこの読み方を強いられる環境があります。

国語という教科の問題です。

勝手な解釈を加えた瞬間文意からずれて不正解になるように(少なくとも選択肢は)作られているのです。

記述式になると微妙な表現の揺れで減点などされてしまうのでちょっと性格が変わってきてしまいます。

 

センター試験現代文のように答えが割と明確に決まっている(少なくとも各予備校で解答が変わらないくらいは正解が明確に出せるのです)問題で鍛えてみるのがいいと思っています。

小学生の場合はしっかり教科書準拠の問題集が解けるかという点を試してみるのもいいかも。

 

ここまで来て”え?国語って作者の意図って問題出しても作者が否定してたりするじゃん?国語の問題自体ナンセンスなのでは?”という意見も耳にするので次回はそんな内容にしたいと思います。

 

それではまた!